【 ご祭神 】    
  瀬織津姫尊 セオリツヒメノミコト 川の神
  遠秋津姫尊 ハヤアキツヒメノミコト 海の神
  気吹戸主尊 イブキドヌシノミコト 風(息吹)の神
  速佐須良姫尊 ハヤサスラヒメノミコト 地底(霊界)の神
   ご祭神は「祓戸の大神四神」といわれ、個人や社会の禍事【まがごと】と罪【つみ】、穢れ【けがれ】を祓ってくださる祓いと禊ぎ【みそぎ】をつかさどる神々です。
  〈禍事〉とは曲がっていること、〈罪〉とは汚れに包まれていること、また汚れがたくさん積もっていること、〈穢れ〉とは気枯れすなわち〈気〉が枯れている状態をいいます。物事が偏りはじめると禍事になり、そこから罪穢れが発生するのです。
  祓戸の大神のうち三神が生命を育む女神であり、川は飲み水、海は生命の根源として、また、呼吸は人間に不可欠なものであり、霊界はこの世を裏で支える存在として、それぞれが私たちにとって大切なものなのです。まさしく人間だけでなく、地球上の生命にとっても根源的なご神徳を備えた神々が祓戸の大神です。
 祓戸の大神のつかさどるミソギは「身削ぎ」で身(ミタマ)の垢を削ぐことです。いわば、自分の我欲の心から出た〈アカ〉を削ぎ落とすのが、ミソギなのです。
 ミソギの起源は神話のイザナギノ尊とイザナミノ尊の夫婦神の物語に由来します。『古事記』によりますと、イザナギノ尊とイザナミノ尊は、天つ神たちの命令で日本の国土を生み、たくさんの神々を生みます。ところが、最後に火の神を産んだためにイザナミノ尊は火傷を負われ、それが元で死んでしまいます。イザナギノ尊は大変悲しんで黄泉【よみ】の国(死後の世界)まで行きイザナミノ尊を連れ戻そうとしますが、そこで変わりはてた妻の姿にビックリしてこの世へと逃げ帰ってきます。この黄泉の国からの帰路、イザナギノ尊は川でミソギをして身を清めます。するとたくさんの神々が生まれ、祓いをつかさどる祓戸の神々も生まれました。
瀬織津姫尊  
   「祓戸の大神四神」の名前は『古事記』や『日本書紀』には直接登場しませんが、いくつかの古い文献にはその名が見られ、なぞの多い神々とされています。
  神道の最高祝詞である『大祓詞』には「高山の末短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津比売という神、大海原に持ち出でなむ」とあります。勢いよく流れ下る川の力によって人々や社会の罪穢れを大海原に押し流してしま う、川に宿る大自然神であることがわかります。
  『大祓詞』の最古の注釈書といわれる『中臣祓注抄』では、「速川の瀬」を「三途の川なり」と説明しており、『神宮方書』においては「瀬織津姫は三途川のうばなり」と書かれております。人々が犯した罪穢れを剥ぎ取り、生まれたままの姿に戻す働き の神であるともいえます。
速秋津姫尊  
   イザナギノ尊のミソギで生まれた神が「伊豆能荒神【イズノメノカミ】」で、罪穢れを清める神とされます。この神がハヤアキツヒメノ尊です。
  『大祓詞』には「荒潮の潮の八百道の八潮道の八百会に坐す速開都比売(速秋津姫)と云う神持ちかか呑みてむ」とあり、 海の神であるハヤアキツヒメノ尊が、大海に流れ出た罪穣れを勢いよく呑み込んでしまいます。
 江戸中期の国学の四大人といわれた本居宣長【もとおりのりなが】は、『古事記伝』の中でこの神は「水戸(河と海の境)の神」でありながら「潮の八百会(あの世とこの世の境)に坐す」神であり「河よりでる所と、彼方へでる所の差こそあれ、共に同じく「水戸」なる古伝の趣の妙なる事かくの如し。よくよく味わふべし」と著してこの神のご神徳の広大さを説いています。
気吹戸主尊  
   同じときに生まれた神が「神直日神【カムナオヒノカミ】」です。日本の神話には完全な悪は存在しません。かわりに「禍」とか「邪」という言い方をします。つまり、本来はまっすぐだったものが、途中で方向が曲がってしまっただけだという考えです。この神はこのような曲がった状態をまっすぐにして、本来の直日(直霊=自己)に戻す働きをする神です。『倭姫命世紀』『中臣祓訓解』では、この神がイブキドヌシノ尊であるとしています。
  『大祓詞』には「かくかか呑みては、気吹戸に坐す気吹戸主という神、根の国底の国に気吹き放ちてむ」とあり、ハヤアキツヒメノ尊が海に呑み込んだ罪穢れを風の神であるイブキドヌシノ尊が根の国底の国(地底)に吹き放ちます。古神道の行法のひとつに身体の邪気を吹き払う「気吹祓い」というものがありますが、息吹(呼吸)と気吹は同じものだとする古代人の直観力には鋭いものがあります。
 ちなみにこのミソギが終わって最後に生まれるのが「三貴神(三桂の尊い神)」といわれるアマテラス大神・ツクヨミノ尊。タケハヤスサノオノ尊です。ここには、心身をミソギしてきれいにし、新たなる生命力に復活した後にこそ、尊い存在が生まれるという思想が隠されています。
遠佐須良姫尊  
   『大祓詞』には「かく気吹き放ちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売という神持ちさすらい失いてむ」とあり、イブキドヌシノ尊によって気吹き放たれた罪穢れが根の国底の国に住むハヤサスラヒメノ尊により浄化され消滅し、大祓詞の最後にある「罪という罪はあらじ」という状態になります。これで個人も社会も、病んでいる気から元の気へともどり文字通り「元気」になるわけです。
 江戸時代の本居宣長は、速佐須良姫尊はスサノオノ尊の御子神「須勢理毘売尊【スセリヒメノミコト】」だとしています。
   
   祓戸の大神は発生したケガレをハライ(外面を清め)、ミソギ(内面の浄化)をし、ハレ(気枯れの回復・ハレ舞台のハレ)の状態にしてヨミガエリさせる、ご神徳があるのです。まさに「ヨミガェル」は「黄泉帰る」と同じで、イザナギが黄泉の国から帰り、ミソギをしてヨミガエったように個人も社会もリフレッシュして、新たなスタートがきれるのです。
 現在、祓戸の大神たちを主神に祭っている神社は、全国的にみてとても少ないのが現状です。しかし、日本人の生活の中に今も残る「水に流す」という習慣が『ミソギをして新しく生まれ変わる』という祓いの概念が起源であることを考えれば、その意味に於いても当社の存在意義は大きく、現代人に『ミソギの思想』を伝えるべく大きな役目があるといえましょう。 『倭姫命世紀』には、日本の代表的な神社である伊勢神宮に祓戸の大神のうち三神が祭られているという伝承が載せられています。
  瀬織津姫尊・・・伊勢神宮内宮・荒祭官(天照大神の荒魂として祭る)
  速秋津姫尊・・・伊勢神宮内宮・滝沢宮並宮
  気吹戸主尊・・・伊勢神宮外宮・多賀宮(豊受大神の荒魂として祭る)
伊勢神宮に行かれた際にはご参拝されるとよいでしょう。
禊祓詞  
   また、前述した『大祓詞』の他に『禊祓詞』がありますが、ミソギとハライを端的にあらわす祝詞として最も一般的で力のある言葉ですので、日常生活や神社参拝のときに唱えるとよいでしょう。
 
禊祓詞
  たかまのはらに かむづまります かむろぎかむろみの みこともちて
  高天原に神づまり坐す 神魯岐神魯美の命以て
  すめみおや かむいざなぎのおおかみ つくしの ひむかの たちばなの
  皇御祖神伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の
  おどの あはぎはらに みそぎはらひ たまひしときに あれませる
  小門の阿波岐原に 禊祓ひ給ひし時に生れ坐せる
  はらへどのおおかみたち もろもろのまがごと つみけがれあらむをば
  祓戸の大神等 諸々の禍事罪穢あらむをぱ
  はらへたまひ きよめたまへと まおすことの よしを
  祓へ給ひ清め給へと白す事の由を
  あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみたちともに きこしめせと
  天津神 国津神 八百万神等共に聞食せと
  かしこみかしこみも まおす
  恐み恐みも白す
   
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